Index

ニット産業の町として栄えてきた山形県山辺町で創業70年の歴史を誇るニットメーカー、米富繊維。長きにわたり大手ブランドのOEMなどで日本のアパレル業界を支えてきたが、中国産ニットの流入などにより次第に事業は縮小。そんな中、三代目となる大江健氏が自社のファクトリーブランド「COOHEM」「THISISASWEATER.」「Yonetomi」を立ち上げ、新たな米富繊維のステージを切り拓いていく。「いくつになっても大人が素敵に輝けるワードローブを」と、山形の小さな町から彼が発信する極上のニットとは。

ニットの名産地、山形。その礎を築いた祖父から続く
繊細なものづくりと進取の気質

山形県南東部、山形市から車で15分ほどの地に広がる人口およそ1万3000人の町、山辺町。「米富繊維株式会社」は戦後の1952年にこの街で創業したニットメーカーだ。幕末期には生糸、明治初期には山辺木綿の産地問屋として手広く商売をしていた歴史を持つ。一方山辺町では戦前から羊の飼育がさかんに行われており、終戦後の混乱期に手に入れられた唯一の物資は羊毛だった。
その羊毛を生かした手編みのセーターを製造販売することで、商いを始めた。

米富繊維の創業者である大江良一氏は、山辺町に数多く誕生したニット工場の中でも他に先駆けて自動編み機の導入や編地の開発などを行うなど進取の気質に富んでおり、山形のニット産地の礎を築いたと言われた人物だった。「米富繊維」はその高いクオリティから従業員400名を超える山形最大のニットメーカーとなったが、90年代以降、中国産の安価なニットがマーケットの主流を占めるようになり、OEMが中心だった事業は次第に縮小の一途をたどる。その様子に疑問を抱いたのが、現社長にして三代目の大江健氏だった。

「僕は若い頃からアパレルのバイヤーになりたいと思っていたので、実家の工場で働く気はなく、東京の大学を卒業した後に専門学校でファッションビジネスを2年間学び、大手のセレクトショップに入社しました。でも、30才手前になる頃、ふと考えたんです。セレクトショップでは海外のファクトリーブランドを数多く扱っているのに、なぜ日本のファクトリーブランドの服は1枚もないんだろう。イタリアのブランドの服は飛ぶように売れるのに、なぜ日本ではどんどんアパレルの工場が潰れていくのだろう、と」


折も折、健氏は当時の社長であった父の富造氏から、「OEMのみならず新規事業として自社ニットブランドを立ち上げないと、この先の米富繊維は生き残ることができないのではないか」という話を聞く。

「創業者である祖父は他の工場に先駆けて最新の機械を導入したりして、設備投資に力を注いだ人物でした。その跡を継いだ父は洋服が大好きな人で、若い時はスタッフと一緒にヨーロッパを巡り、日本に入ってきていないブランドを視察したり、サンプルを買ってきて研究したりしていたようです。だから自社ブランドを持つという夢はずっと持っていたのだろうと思いますが、『長くOEM事業だけを続けてきたので、ブランドを立ち上げるにしても何から始めればよいのか分からない』と」

であれば、若い自分がゼロから挑戦するのがベストなのではないか……。そう考えた健氏は、意を決してセレクトショップを退社。東京と山形を行き来しながら自社ブランドの立ち上げに取り組んでいく。

豊かなアーカイブとベテランの技術、若い感性。
すべてを融合して生まれた自社初ファクトリーブランド

当時の米富繊維はグループ会社を経営統合するなど企業再編の過渡期であり、さらにリーマンショックも重なって、決してポジティブな空気とは言えなかった。若手社員の数は限られ、そもそも受注生産が主流だったためデザイナーも不在。「OEMの営業をしつつ、工場でのものづくりを学び、並行して少しずつ若い人を採用しながら、自分で新ブランドのための企画デザインを考える、といった感じでした」と健氏は笑うが、そんな米富繊維にはブランドを立ち上げる上で2つの大きな強みがあった。

まず一つは「ローゲージニット」の生産設備。ニットにはハイゲージとローゲージという種類があり、ハイゲージとは細い糸で編まれた薄いニットを指す。イギリスの有名ニットブランド「ジョンスメドレー」はこのハイゲージニットが中心だ。一方ローゲージは手編みのセーターのように太い糸でざっくりと編んだニットのこと。日本ではハイゲージニットは中国生産のものが主流になっており、米富繊維はハイゲージの機械をほとんど置かず、ミドルゲージからローゲージに特化した多種多様な機械設備を誇っている。そのプログラミングにおいて豊富な経験を持つベテラン職人を有していることも米富繊維の大きな特長だ。

「もう一つが編地開発力です。これは先代の頃のことなのですが、職人が自分でいろんな糸を組み合わせてゲージや編み方を工夫し、取引先に『こういうテキスタイルが作れますよ』と発案する、いわば研究開発の部署です。以降、40年以上をかけて彼らが開発してきたテキスタイルが、生地屋さんの見本のようにずらりとアーカイブ化されています。これはニット工場で本当に珍しいんです」

豊富な編み機のバリエーションと、多種多様なゲージによるテキスタイルアーカイブ。さらに、ベテラン社員の熟練の技術と経験値、若手スタッフの新たな感性という、米富繊維が持つ全ての強みを象徴する自社初のブランドとして、2010年に誕生したのが「COOHEM(コーヘン)」だ。その名はさまざまな素材をミックスして編む“交編”という米富繊維が得意とするニットの技法に由来する。しかし「COOHEM」は、ニットブランドでありながらベーシックなセーターを作らず、「ニットらしくない、THIS IS NOT A SWEATER.」という衝撃的なコンセプトによるブランドでもあった。

COOHEM COOHEM

「最初の自社ブランドとして米富繊維でしかできないものづくりをしようと、改めてアーカイブを見直した時に、今までいろんな洋服に袖を通してきた僕でも初めて見るような素材があったんですよ。ニットなのに生地のようで、織物みたいだけどやっぱり編み物で、ヨーロッパのニットブランドにもないユニークなテキスタイルだった。まずそのテキスタイルを『COOHEM』で商品化し、ジャケットやGジャンのように、ニット生地では作らないようなアイテムが揃うブランドにしようと考えました」

自社の得意とするところが伝わる商品を作り、伝わるような発信の仕方をすれば、届く人には必ず届く。そう信じて「COOHEM」の商品開発と営業に必死で取り組んだという健氏。やがてこのチャレンジングなニットブランドは次第にアパレル業界でも知られるようになり、バイヤーのほうから「展示会に行きたい」と声がかかるほどの支持を集めていく。

創業以来培ってきた技術とプライドから生まれた
「セーターとは何か?」を問うセーターブランド

「COOHEM」設立から10年後、健氏が次に打ち出したブランドが、2020年に登場した「THISISASWEATER.(ディスイズアセーター)」だ。「メンズとウイメンズの区別がなく、年齢もファッションの嗜好性も問わない、あらゆる人たちに支持されるもの」というコンセプトで、その名のとおりセーターのみを取り扱う。一つのモデルで男性のサイズから女性のサイズまで展開し、カラーも多く用意することで、どんな人にもフィットするラインアップを揃えているのが特色だ。

「実は『COOHEM』の裏テーマが『THIS IS NOT A SWEATER.』だったんですよ。『THISISASWEATER.』はそれと真逆で、ジャケットを作ったりコラボのスニーカーを作ったりは全くせず、ウールカシミアの無地のセーターのように、これぞセーターといった上質でベーシックなセーターしか作っていません。そのコンセプトによって『COOHEM』と共存していくブランドとなっているんです」

セーターは創業以来、米富繊維が最も多く生産してきたアイテムだ。だからこそ健氏は、このブランドを立ち上げるにあたり、改めて「セーターとは何か?(WHAT IS A SWEATER?)」を問い直したと語る。結論は、年月や世代を超えても愛され続け、新しいけれど古くなることのない価値を宿したセーター。もちろん、それは長く大切に着続けることのできるクオリティーあってこそだ。

「だから『THISISASWEATER.』はシーズンごとに展示会を開いて卸売をするという従来のアパレルの販売スタイルをとっていません。1年に1シリーズをリリースし、その商品はすべて定番として継続生産していきます。セールもしません。気に入っているアイテムは何年も着続けていただきたいし、何年たっても同じものを買い直せるように在庫を用意したいと思っています」

3つのブランドで米富らしさを発信しながら
長く愛され、大人を輝かせるワードローブを手がける

さらに健氏は2020年、3つ目のブランド「Yonetomi」を立ち上げた。このブランドにおいてはニットにこだわることなく、さりげない素材の組み合わせでありながら、気の利いたデザインでベーシックな日常の装いとして楽しめる幅広いアイテムを提案している。

「一見するとシンプルな普通のTシャツにように見えても、首周りのリブだけは弊社で編み、他社に発注したボディ部分にドッキングすることで、一般的なTシャツよりリブが伸びにくくなる。そんな工夫を加えることで、ありふれたものの中に他にはない個性を与え、コストパフォーマンスに優れたアイテムを揃えています」

異なるコンセプトながら、それぞれが米富繊維を象徴する役割を果たす3つのブランド。いずれにおいても健氏が目指すのは、長く愛し続けることができるアイテムを用意することで、着る人が60歳になろうと70歳になろうと素敵に輝き、若者から憧れられるようなスタイルを楽しめるようなファクトリーブランドだ。

「ファッションは若者の文化のように思われがちですが、僕はアパレルの世界で大人たちがおざなりにされるのは不思議でしょうがないんですよね。トレンドだけにとらわれず、最近のブランドのアイテムと合わせても、親から受け継いだオーセンティックなブランドのものと合わせてもスタイルが成立するような、スタンダードなアイテムを発信していきたいし、そういうものの価値に気づき始めた大人の方たちのワードローブにしていただきたいと思っています」