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「太古より、瀬戸内は海を通じて文化が運ばれてきた場所。知と富が集積されているのです。そしてこれら文化は建築にも豊かさをもたらしてきた。土地の背景があるエリアだからこそ建築文化の魅力を発信していきたいのです」


2025年、新たな文化の発信が始まる。様々な芸術祭が開催されている瀬戸内エリアで建築に光を当てた祭典が開かれるのだ。なぜこのタイミングで開かれるか。「ひろしま国際建築祭」総合ディレクター白井良邦さんが10年の構想を振り返りながら語った。

知と富が集う場所だからこそ、価値を伝えていく

数々の邸宅や美術館、寺社やパブリックスペース。建物の随所に四季を感じるディティールがあり、庭を彩る植栽が引き立てる。建物と庭、周囲の風景が調和して一つの「作品」として誕生する。日本建築のもつ美しさだ。そして緻密で屈強な土台が「作品」を支えている。


日本建築の確かなベースの上に成り立つ機微の美しさは、世界の建築を取り巻く世界の人々から賞賛されてきたが、影をひそめ光が当たることはわずかだった。


これまで日本に芸術祭は数あれど、建築に注目されることは少ない。しかし今、”建築”を切り口にした“祭”が開かれようとしている。それが3年に一度の祭典「ひろしま国際建築祭」だ。2025年を第1回目とし、100年持続させることを目指している。あえて今取り組もうとするのはなぜか。それは瀬戸内エリアに国宝建築をはじめ、日本を代表する数々の著名建築家の手がける美術館や建物が集うからだ。

神勝寺
神勝寺の寺事務所<松堂> photo by 鈴木 研一

「特に尾道は歴史のある神社仏閣が多く、国宝や重要文化財の建造物が集積しています。 そのようなこともあり、広島県は他の瀬戸内エリアと比較しても突出して多い。例えば国宝の建造物は広島県で7件、岡山は3件、山口県は3件となっている。昔から文化が脈々と築かれ、富と知が集積する場なのです」と総合ディレクター白井良邦さんは話す。


建築の世界の新たな扉を開きたい——そう願っていた白井さんは、いわれのある歴史をもつこのエリアは、建築文化を発信していくのに確かな説得力があると信じていた。

国内外の建築を知るプロフェッショナルが、雑誌の世界を飛び越えて伝えたいこと

白井さんは、2016年まで出版社<マガジンハウス>に在籍。国内・海外の名建築を多くの人に伝える雑誌『Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)』を立ち上げ、副編集長として関わってきた。同誌を通じて約19年間建築と向き合ってきたなか、人生の転機を迎えたのは2017年。福山の造船会社、常石造船を中核とした企業ツネイシホールディングスの神原勝成氏と出会う。


「神原さんの一声は『瀬戸内海を悠々と走り進み一望する、動く建築“guntû”を構想している。ぜひ関わって欲しい』というものでした」


果たして自分ができることは何か——。考えを巡らせ行き着いたのは『Casa BRUTUS』を通じて出会った数々の建築たちに向けていた“視点”だった。


自らが設計や施工をしてきたわけではない。しかし、見て・触れて・感じたことは誰よりも経験を積み重ねた。今こそこれまで五感を通じて味わってきた建築文化を伝えるときなのではないか。


人々と文化の架け橋になりたい。出版社を退職し、瀬戸内に身を移した。


神原氏の取り組みは「guntû」の就航にはとどまらなかった。瀬戸内海から建築の文化そのものを発信していきたいという強い願いがあったからだ。あくまで「guntû」はその序章の一つといえよう。そして2024年、文化振興普及を目的とした「神原・ツネイシ文化財団」を福山市に設立した。


「ひろしま国際建築祭」の主催は建築文化を発信することを目的のひとつとして設立された「神原・ツネイシ文化財団」。代表理事には神原氏、理事には石川文化芸術振興財団理事長をつとめる石川康晴氏や大原芸術財団代表理事の大原あかね氏、福武財団代表理事の福武英明氏らが名を連ねている。もちろん白井さんも理事の一人だ。


「建築で未来の街をつくり、こどもの感性を磨き、地域を活性化させ、地域の名建築を未来に残すこと」をミッションに掲げた彼らは、10年もの間神原氏が描いていたことを、瀬戸内エリアの文化芸術振興を担うものたちが結集し、最大化しようとしているのだ。


見て知って触れる、同時多発的に味わう未体験の”祭”

会期は2025年10月4日〜11月30日の58日間。「秋は、芸術への関心が一番高まる時期。」と語る白井さんは、芸術とともに多くの人に関心を持ってほしいからと同会期を設定した。


瀬戸内エリアでは同会期中に「瀬戸内国際芸術祭」「岡山芸術交流」の同時開催となる。「guntû」で海を旅をするかのごとく、”祭”を渡り歩くことで未体験の扉が開かれるかもしれない。それも主催者の願いなのだろう。


会場は全部で財団のある福山市と尾道市。10以上の会場が舞台となる。尾道市の「尾道市立美術館」、「ONOMICHI U2」「LOG」、福山市の「ふくやま美術館(市民ギャラリー)」「神勝寺」などで建築に関わる展示が行われる。

尾道市立美術館
尾道市立美術館 写真提供/尾道市立美術館
尾道市立美術館
ふくやま美術館 写真提供/福山観光コンベンション協会

「街をひとつの舞台とみなして、同時多発的に展示を行うことが魅力」と白井さんは言葉に熱を込める。


特筆すべき展示は、尾道市立美術館での建築展「ナイン・ヴィジョンズ:日本から世界へ跳躍する9人の建築家」だ。建築界のノーベル賞と称される「プリツカー建築賞」を受賞した日本人建築家9名8組にフォーカスするものである。


戦後の日本建築をリードしてきた丹下健三をはじめ、槇文彦、安藤忠雄、妹島和世・西沢立衛による建築家ユニットSANAA(サナア)、伊東豊雄、坂茂、磯崎新、山本理顕。彼らが紡いできた歴史と資産、想いの数々を一同にして見つめることで、これまで光の当たらなかった日本建築の機微を知ることができる。世界からなぜ賞賛されているのか、なるほどと納得することだろう。

伊東豊雄氏
建築家 伊東 豊雄 photo by 藤塚 光政
台中国家歌劇院
台中国家歌劇院 写真提供/伊東豊雄建築設計事務所
坂茂氏
建築家 坂 茂
紙のカテドラル
紙のカテドラル(ニュージーランド/設計:坂 茂)
Christchurch Cardboard Cathedral
photo by Stephen Goodenough

また、丹下健三の自邸復刻プロジェクトの軌跡も展示される。会期が終了し、自邸が完成するのは2027年の予定。まさに今、復元しようとしている渦中を体感できるのだ。未来に思いを馳せながら観覧する時間は見るものの想像力をかき立てる。


あらゆる立場の人たちの感性をくすぐり、刺激をもたらす

建築祭は、どんな人をも受け入れる。白井さんは「建築関係者が見てもうなるし、建築を知らない、未知との出会いだ、というまっさらな視点の人にも刺激と発見がある」と言う。それぞれの楽しみ方、それぞれの発見があっていい。


ここで忘れてはならないのが「建築の世界にも脈々と受け継がれてきた”文化”がある」ということだ。


「かつて日本は瀬戸内海を通じて海外から人や文化を招き入れ、文化の交流をしてきました。すでに文化の形成は遣隋使や遣唐使が往来する時代から始まっており、今ある文化や物流の脈となっているのです。当時への思いを馳せながら眺める瀬戸内エリアをあなたはどう感じるでしょう」


眼の前に広がる広大な海、穏やかな街並み、木々の美しい風景や建物、人々の往来……様々な事物に流れる歴史や文を重ね合わせることで、目に映る景色と異なるものが見えるかもしれない。


「想像力があなたの視野を広げてくれる。そういう楽しみを瀬戸内から見出して欲しいのです」


「建築は文化である」—— 一体どういうことなのか。後編では、日本の建築の歴史について紐解きながら考えていく。