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今、国内外のシェフや醸造家が岩手・遠野に熱いまなざしを注いでいる。その先にいるのは、佐々木要太郎。無農薬無施肥を徹底する米農家であり、その米で酒を造る醸造家であり、「遠野キュイジーヌ」を牽引するオーベルジュの料理人でもある男だ。「世界で戦えるどぶろくを造りたい」。彼のひたむきな情熱と努力が、土を変え、米を変え、概念をくつがえす味わいのどぶろくを生み出した。やがて彼は、米糠を使うという類を見ない日本酒で、世界を驚かせる。

最初の閃きをブラさずビジョンに。
世界にただ一つの醗酵方法で、世界に通じるどぶろくを

佐々木の実家は岩手県遠野市で100年以上も続く民宿だ。柳田國男の「遠野物語」で知られる遠野は、日本の原風景とも言うべき景観が残り、多くの観光客が訪れる。しかし、厳しい寒さが続く冬季は客足が遠のき、街も閑散となる。そんな冬の遠野を活性化させようと考えた佐々木の父が着目したのが、2002年に制定された、特定の域内でのどぶろく製造と販売が許可される「どぶろく特区」だった。

冬の遠野 要の写真 冬の遠野 要の写真

この免許申請を担ったことが、佐々木がどぶろく造りへと突き進むきっかけとなった。講習に足を運んだ佐々木は、糖化とアルコール醗酵が同時に進む「並行複醗酵」という発酵方法で造られる日本酒の歴史と文化に心を奪われる。


「講習の中で、『世界にはいろんな発酵文化があり、アルコール発酵で作る酒も数多くあるけれど、並行複発酵で醸造するのは日本酒だけだ』と教わったんです。世界で一つだけのものならば、きっと世界で戦える酒が造れるにちがいない。そう確信しました」


だが、その道のりは長く険しかった。

土、本来の力を取り戻す。

10年かけて蘇った遠野ならではのテロワール

どぶろくはもろみ(発酵液)を濾過しない、いわゆる濁り酒で、1300年前の万葉集にもその名が登場するほどの歴史を持つ。いわば日本酒の原点だ。さらにその起源をたどれば、縄文時代に伝わったという稲作に行き着く。しかも、特区の免許は自分で育てた米でどぶろくを造ることが条件。であれば、大切にすべきは土だ。無農薬無施肥の土で米を育てよう。佐々木はそう考えた。


「もともとワインが好きで、中でもテロワールを重んじたワイン造りで天才と呼ばれたワイン醸造家、アンリ・ジャイエに惚れ込んでいたので、農産物を育ててアルコールを醸造する道を行くのであれば、農薬は絶対使いたくないという思いがありました」

田んぼの作業 田んぼの作業

言うまでもないが、今の日本の米づくりは法律に則って化学肥料と農薬を使用し安定した生産を行う慣行農法がほとんどだ。佐々木が借り受けた土地もそれまで慣行農法を行っており、その成分が抜けるまで、実に10年かかったと佐々木は言う。その間、佐々木はどぶろくを造り続け、発酵を研究し、ひたすら理想のどぶろくを追い求めた。全ては、無農薬無施肥という健全な土から生まれる、唯一無二のテロワールを実現するためだった。

本来の米そのものを味わう素晴らしさ。
だから、削らない

無農薬無施肥の田んぼで佐々木が栽培を始めたのは、酒米ではなく、長く生産が途絶えていた遠野の飯米品種「遠野一号」だ。今の米に求められる「甘み」は強くないが、どぶろくに用いると他にはないエレガントな風味が生まれるという。さらにもう一つ、佐々木にはこだわりがあった。


「今はふっくらとした米の生産が主流で、ほとんどの酒蔵がその米を削りに削って清酒を造っています。言い方を変えれば肥満体質の米から雑味を抜くために米をたくさん削って精米歩合を低めているわけで、それでは本当の米の味わいは残らないし、あまりにもったいない。健全できれいな土で雑味のないきれいな味の米を育てれば、精米歩合の数値はどんどん高めることができ、米本来の味も活かせるはずです」

佐々木さんの作ったお米

こうして無農薬無施肥による米づくりに取り組んで10数年。土は見違えるように健全な状態となり、佐々木のどぶろくも県内外で評判となっていた。一方で父のもとで料理を学んだ料理も注目を集め、2011年には1日1組のオーベルジュ「nondo」も開業。まさに三足のわらじを履いて目も回るような毎日を過ごしていたそんな折、佐々木が一つの確信を得る出来事が起こる。実験として、よく国道沿いなどで見かけるごく普通のコイン精米機で精米した米で造ったどぶろくが、彼自身も驚くほどの出来栄えとなったのだ。

どぶろく造りの様子 どぶろく造りの様子

「一般的な日本酒の精米歩合が60%ほどであるのに対して、コイン精米の白米は精米歩合95%ほど。しかし、その味は従来の精米歩合60%のどぶろくとなんら遜色はなく、何も知らせずに飲んでいただいた方たちは誰一人その違いに気づかなかったんです。ほとんど削らなくても全く問題がない、きれいな味の米ができた、つまりそういう米が育てられる土になったんだと確信しました」


きれいな土で育てたきれいな味わいの米であれば、削る必要はない。彼の信念が、滋味深くサスティナブルなどぶろくを生み出した瞬間だった。

米糠と微生物が織りなす「多味」なる味わい。
イマジネーションを掻き立てる、エレガントな酒

この結果を得て、佐々木は新たな挑戦へと踏み出す。かねてからの念願だった、米の外皮まで余さず使った酒造りだ。


むろん、普通の日本酒は外皮を取り除いた白米から造る。しかし、米が土から吸収する養分や米そのものの味わいを生む要素の多くは、米の外皮に存在する。だからこそ、その外皮を酒の一部に生かしたい。それが佐々木の願いだった。しかし、玄米のままだと発酵過程で米が溶けにくい。試行錯誤の末にひらめいたのが、玄米を精米して外皮は米糠の状態にし、白米と別々に発酵させてから再び合わせて醸造するという方法だった。

日本酒造りの様子 日本酒造りの様子

「実家のぬか床を触っていた時にふと思ったんです。玄米のまま発酵させるのが難しいなら、一度精米して米ぬかと白米に分けて発酵させたらいいんじゃないか、と」


このアイデアが実を結んだのが、米ぬかを使って醸された日本酒「権化」だ。事前に税務署に相談したところ「そんな酒は過去に例がない」と言われ、そこからは国を巻き込んで何度も協議を重ね、ついに2021年、世界でただ一つの全く新しい酒としてリリースされた。

日本酒造りの様子


酵母を添加せず、生米を水に浸して乳酸発酵を促す「水酛仕込み」にて醸した権化シリーズは、米糠を使用し木桶を使って醗酵させる。生糠を使用する「MO CHUISLE 」を基本に、焙煎した米糠を使用する「MARO」、江戸時代に使われていた搾り槽を使い重石のみで搾る「Rafters」など、現在6種類。米の風味のみならず、ワインを思わせるシャープな酸味、軽やかな甘み、柑橘のような果実味、さらには苦味まで、さまざまな要素を含む複雑な味わいは、まさに「多味」だと佐々木は言う。

権化シリーズのイメージ写真

「最近は調理に醗酵を取り入れるファインダイニングも増えましたが、保温器などの機械による醗酵から生まれる味は、単調で複雑味がないように感じるんです。つまり『単味』。ところが自然環境の中で、あらゆる菌たちと微生物たちの働きによって醗酵させたものは本当に複雑でさまざまな味わいを持ち、『多味』に富んだものになるんです。甘い、旨いだけではなく、人間が本来苦手としている辛味、苦味、酸味といった要素も含み、それら全ての『多味』がきれいに美しく整った味わいこそが『美味』であり、『美味しい』につながる味だと僕は信じています」

料理のお写真 料理のお写真


今や佐々木の日本酒は世界でも高い評価を受け、「nondo」には国内外のシェフやソムリエが足繁く通って佐々木の味を堪能する。一方、醗酵の知識と料理人としての技術を活かしたチーズづくりや飲食店のプロデュースなど、佐々木の領域は拡大の限界を知らない。それでも、日本の醗酵文化から世界で戦える味わいを生み出すという佐々木の夢にぶれはない。

佐々木さんがお酒の味見をしているところ

「声無き者の声を聴き、姿無き者の姿を見る。それが僕の仕事の本質です」


そう語る佐々木の情熱と強い信念が実現させた、世界に類を見ない酒、「権化」。この酒は、新たなる美味との出会いだけでなく、日本の食文化、そして酒造りと農業の未来に想いを馳せる機会を我々に与えてくれるにちがいない。