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静かに波打つ海と緑豊かな山々に囲まれた熊本・天草。放牧や畜産に適した地であり、昔より日本有数の銘柄牛の素牛を繁殖している。この地で40年以上にわたり畜産業に携わる「田中畜産」は、天草の牛を天草で育て上げる銘柄牛「天草黒牛」の優れた生産者としてその名が知られる存在だ。
育成環境、飼料、肥育期間、全てに心血を注ぐ田中畜産の牛肉は、上質な赤身と繊細なサシが目にも美しく、濃厚でありながら上品な甘みを湛える。ここでしか出会えない特別な味を求め全国から食通が足を運ぶ、田中畜産のこだわりと情熱に迫る。
ミネラル豊富な潮風と広大な牧草地に育まれ
厳しい規格をクリアした黒毛和牛
古くから和牛の繁殖が盛んに行われてきた熊本県天草。年間平均気温約16℃という温暖な海洋性気候、潮風が豊富なミネラルを運ぶ広大な牧場、適度な運動を促す起伏に富んだ地形と、牛たちの生育に最適である豊かな自然環境が揃い、生産者たちは長年の経験と知識に基づくきめ細やかな管理で牛たちを健康に飼育してきた。この恵まれた地で育つ銘柄牛が「天草黒牛」だ。
天草黒牛とは、天草地域で生まれ育った黒毛和牛のうち、厳しい規格をクリアしたもののみが冠することのできるブランドだ。「天草地域で全期間飼養されていること」「子牛の期間は主に天草産の牧乾草や稲ワラ、飼料用稲などを与えていること」「肉質等級4以上であること」と様々な条件が定められており、実に希少な銘柄牛といえる。潮風がそよぐ広大な牧草地でミネラル豊富な牧草を食み、のびのびと育った天草黒牛は、肉質の柔らかさとあっさりとした脂が特徴である。
実は、かねてから天草で育つ仔牛の一部は松阪牛などのブランド和牛の素牛として出荷されており、そのクオリティは折り紙付き。つまり、天草黒牛は名だたるブランド牛のルーツとも言える存在であり、その味わいは推して知るべしだ。
繁殖から肥育まで全てを手がける一貫体制。
長期肥育を徹底する田中畜産のこだわり
この天草黒牛の優れた生産者として料理界でつとに知られているのが、田中畜産だ。
牛の畜産における行程は「繁殖」と「肥育」に大きく分かれる。近年は効率化のため、牛に出産させその子牛を一定期間育てる繁殖農家と、子牛を購入して大きく育ててから市場に出荷する肥育農家に分かれていることが多い。
繁殖農家は、優良な血統を受け継ぐ仔牛を産み出すため、母牛の体調管理から人工授精、生まれた仔牛の哺育まで、細心の注意を払いながら命を繋いでいく。遺伝的な品質管理は、未来の肉質を左右する重要な作業であり、彼らの手によって和牛の血統は磨き上げられていく。
このバトンを受け継ぎ、仔牛を最高の状態へと育て上げるのが肥育農家の使命である。肉質を高めるため、仔牛の成長段階に合わせて飼料の種類や量、飼育環境などを細かく管理するが、その技術によって和牛の味わいに個性が表れるともいえる。
黒毛和牛の場合、繁殖から肥育までには約3年半の歳月を要するという。母牛の妊娠期間は約285日、仔牛は生後10カ月齢まで育成され、その後、肥育農家へと引き継がれる。肥育期間は約24〜28カ月間。肥育には莫大な飼料が必要となるため、より短期間で大きく育て、極力運動させずに脂肪を蓄えることを追求するのが標準的な肥育の考え方だ。
一方、田中畜産は天草黒牛の繁殖から肥育までを全てを手掛ける一貫体制をとっている。さらに、多くの生産者が行う効率的な肥育とは真逆の方法で、より質の高い和牛を生産している点に大きな特色がある。
「肥育期間は、天草黒牛を育てる農家の中で最も長い30カ月としています。
天草の海に囲まれる牧草地に放牧して適度に運動させ、のびのびと過ごせるストレスのない環境でじっくりと肥育。これにより、健康的で旨みを湛えた肉質にきめ細かなサシが入り、数あるブランド和牛の中でも無類の味わいになります」
そう語るのは、三代目の田中誉也さん。田中畜産ならではの育成条件から生まれるこの味わいが、希少な天草黒牛を「幻のブランド牛」と呼ばれる存在へと押し上げているのだ。
噛むほどに広がる旨みと、さわやかな脂の甘み。
一流の料理人たちも認めるクオリティ
田中畜産が手がける天草黒牛は国内外の料理人から高く評価されており、肉業界でトップクラスの有名シェフからもコラボレーション企画が持ち上がるなど、そのクオリティが全国から注目されている。
何よりその理由は、他の和牛とは異なる赤身の深い味わいにある。食した人から最も多く聞かれるのは、「噛むほどに赤身の旨味が濃く感じられる」という声だ。田中畜産の黒牛は運動量が多いため、肉質に締まりがあり、サクッとした歯切れのよさと濃厚な赤身の味わいが強く感じられるのだという。そして、サシはきめ細かく、脂の融点が低いため、脂にくどさがない。口に含んだ瞬間にとろけるような甘さがあり、いくらでも食べられそうなさっぱりとさわやかな味わいなのだ。
この特有の味わいは、長期肥育に加え、先代が長年にわたり取り組んできた独自開発の飼料によるもの。天草の素材にこだわり、潮風由来のミネラル豊富な稲わらを中心とするほか、牛肉の品質指標であるオレイン酸の含有量を高めるため、国産コシヒカリや酒粕を飼料に混ぜて与えるのだという。「酒粕と適度な運動が牛の腸内環境を改善するため、より健康に成長します」と田中さんは話す。
しかも田中水産では卸売から直売所・通販・焼肉店といった様々な業種・業態を展開しているため、ていねいに育て上げた天草黒牛をフレッシュなまま直接取引先や消費者のもとに届けることができる。これもまた大きな魅力の一つだ。
天草黒牛を全国へ、そして世界へ広げる。
地域と共に歩む三代目の不断の挑戦
田中畜産が手間暇かけて育てる天草黒牛が世に知られたのは、先代の田中健司氏が「天草の最高の和牛をもっと身近なものに」という思いから、自社牧場の牛肉を提供する焼肉店を始めたことがきっかけだ。
日本国内の食肉の流通経路は元来大変複雑であり、良質な肉が一般消費者に届きにくいという課題があった。そこで、田中畜産は飼育から流通、販売まで一貫して行うことで中間マージンを排除し、2006年には精肉販売を開始。2007年には、天草市内で最高級の和牛をより手頃な価格で幅広い層の方に食べてもらえる焼肉店を立ち上げた。
こうした一貫体制は一見すると効率的に感じるが、実際には非常に大きな負担とリスクを伴う。そのため、先代が焼肉店を開業しようとした際、周囲はこぞって猛反対したという。しかし先代は、「牛を育てている自分たちだからこそ、天草を代表するような焼肉店を作れるはずだ」と自らの意思を曲げなかった。その大胆な決断が、地元で多くのファンを生み、やがてグルメとして名高い著名人や料理人を惹きつける名店への道を切り拓いたのだ。
「先代が心血を注いだ高品質な天草黒牛を、松阪や神戸に並ぶ有名銘柄牛として全世界へ発信していきたいと思っています」
そう話す田中さん。ここ数年、田中畜産の精肉店は焼肉店同様多くの客が訪れるようになり、時には数百名の行列ができるほどの盛況ぶりだが、自分たちだけでできることには限界がある。そこで、地元の飲食店を巻き込み、マルシェを開催するなど、地域全体を盛り上げるための取り組みを積極的に行っているという。
「天草には天草黒牛をはじめ、こんなに素晴らしい食材があるということを多くの方に知っていただきたい。そして、天草を訪れた方たちに思い出という目に見えない価値を持って帰っていただきたい」
それが彼ら田中畜産の願いだ。先代から受け継いだ情熱と地域愛を胸に、田中畜産は新たな挑戦を続け、天草の食文化を未来へと繋いでいく。