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禅の知恵と現代アートを融合させた活動を続ける僧侶・伊藤東凌さん。座禅体験や現代アート展は、国内外から多くの人を惹きつけている。15年以上にわたり延べ15万人を超える座禅指導を行ってきた東凌さんが考える、死生観の現代的意義、そして禅の智慧をビジネスや日常生活に取り入れる具体的な方法について、独自の視点で語った。
美を通じて、より和やかで理解し合える社会へ
両足院には、明治43年に建てられた茶室がある。光を外から取り入れる工夫がされた有楽囲いの室内には、広く見せる三角形の鱗板があり、腰張りには中国の暦が配されている。座禅とアートに加えて、伊藤さんが力を入れているのが、茶室での体験だ。
「日本人でも茶室に入った経験がある人は減ってきているかもしれません。着物を着なければ、作法が厳しいといった慣例から解放された、瞑想空間として茶室を捉え直しています。お茶を点てるプロセスを見たり、釜から湯が沸く音を聞いたりするのは受動的な体験。でもそこに自分自身の意思で参加するという主体性もある。このバランスが美のプログラムとしても優れていると感じています」

禅寺での現代アートの展示は、一見すると違和感があるかもしれない。しかし両足院では、2014年から続く現代アート展示が、寺院文化に新たな息吹を吹き込んでいる。「スピーキングインサイレンス」など、近年の展覧会では、畳の上に現代アート作品を配置するなど革新的な試みもあった。

「同じ場所で現代アートの展示を続けていると、リピーターの方々の期待をどう超えていくかという挑戦があります。そこで畳の使い方を180度変えてみたり、庭にこれまでにない作品を置いてみたり。やっていいこととやってはいけないことの境界線を常に押し広げてきました」
彼が作家たちと深く関わり、空間との調和を追求する姿勢は、単なる展示企画を超えた芸術的対話の場を創出している。
「作家には相当なコミットメントを求めています。展覧会の開催前にできるだけ多く足を運んでもらい、禅の体験もしてもらう。私とのディスカッションや、空間を細かく認識するために時間を共に過ごす。例えば『スピーキングインサイレンス』に参加したボスコ・ソディは、いつもより小さいスケールの作品を自ら選択しました。私たちが『小さくしてください』と制限したわけではなく、彼が両足院で時間を過ごしたことで理解し、選んだことなのです」

「気づく・解く・整える」小さな気づきが明日の意識を変えていく
現代社会では、仕事や日常の忙しさに追われ、美しさに気づく余裕が失われがちだ。伊藤さんはこの現状に対して、循環的なアプローチを提案する。
「美しさに触れて、気づき、自分の固定観念がほどける。でも、しばらく日常で過ごしていると、また好奇心への感度が薄れていく。そこで、また新たな気づきを得て、ほどいて、整える。このループがあれば、美しさにずっとアクセスし続けられると思うんです」
「小さな行動変容が明日の意識を変える」というシンプルな表現には、彼の思想の真髄がある。
「瞑想を続けると、日々の小さな幸せや、美に気づけるようになったとの声を多くいただくんです。これからも気づきにつながるようなサービスを提供していきたい。もちろん最終的には自分で気づけるようになることが理想ですが、まずは体験として提供する。固くなっていた固定観念がほどけていき、自分の生活を新たに整え直すことができるのではないでしょうか」
日常の所作の中に禅の実践があるという視点は、忙しい現代人にとって取り入れやすい入り口となる。

誰にでも訪れる「死」を豊かに捉え直したい
伊藤さんは、「死生観」についてどのように捉えているのだろう。伝統的な仏教の死生観を踏まえつつも、「人生100年時代」と言われる現代において、死に対する考え方を見直す必要があると語る。
「長寿のためのテクノロジーやサービス、サプリメントが次々と登場しています。長生きできる、あるいは長生きしなければならないという価値観が広まっています」
従来の宗教的な死生観だけではなく、現代のライフスタイルに合わせた新たな哲学が必要とされている。自分で人生の舵を取り、生きがいややりがい、そして生ききる、死にきるといったことを各自が考えなければならない時代だと伊藤さんは穏やかに語る。
「好きなように生きて、ピンピンしてコロリと逝くのが理想だと思われがちです。しかし現代社会においては遺族が困ることに成りかねないんです」
パスワードやデジタル資産など、様々な個人情報が複雑に絡み合っており、突然の死は残された家族に負担をかけることになる。
「だからこそ、現代ならではの死生観を考える必要があると思っています。思い描いていた豊かな人生観は、突如として崩れる可能性がある。その時でも納得できる答えを自分の中で作れる人、見つけられる人、あるいは編集できる人であることが、豊かな生き方だと思います」
禅とビジネス、伝統と革新。一見相容れないものを融合させようとする彼の姿勢は、日本文化の新たな可能性を示唆している。「水と油」のように一見混ざり合わないものを組み合わせることで、新しい価値が生まれると考えるのだ。こうした「異質なものの融合」への追求は、彼の活動全体を貫くテーマだ。
「こういう話をしていると、『また文化側の人が美のことを言っている』という風に捉えられがちです。だからこそ、水と油のように一見混ざらないものを敢えて混ぜていきたい。例えばビジネスニュースを聞いていると思ったら、その中に禅の要素が入っているとか。距離の遠いものが混ざり合うと、人の気持ちに新鮮な風を送り込むことができるのです」
言葉の概念をほぐすことで、より豊かで自由になる
「よりよく生きることは、よりよく死ぬことにつながります。死という言葉が、膨らみのある、”ええ手触り”のあるものになっていく。そうすると、死以外の固定観念も柔らかく、多面的に捉えられるようになるんだと考えています」
より豊かな人生のために何ができるかと問うと、「言葉のストレッチ」の重要性を語った。これは伊藤さんの禅の思想のエッセンスでもある。例えば、勇気や失敗といった言葉が持つ意味も、ストレッチすることで、より豊かで自由なものになる可能性があるのだと語る。
「『勇気は私にはないもの』『失敗は少ないほうがいい』など、思い込んでいる人もいます。でも言葉はいろんな捉え方ができるはずです。人が使う言葉は概念そのもの。言葉にこだわって、ストレッチしていくことは、非常に豊かな生き方だと思っています」
最後に、言葉をストレッチするにはどうしたら良いかを尋ねると、意外にも「歩くこと」を伊藤さんは提案したいという。新しい景色に出会い、固定観念は自然に解きほぐされていく。それは禅の本質でもある「とらわれない心」に通じるものだ。
「関係ないように思えるかもしれませんが、たくさん歩いて、いろんな景色を見て『移動する』。自分のコンフォートゾーンから抜け出す際に、何より自分の足で歩いて出ていくことが大切なんです」

伊藤さんは両足院を拠点に、禅とアートの融合、美意識と死生観の探求を続けていく。フランス・ドイツ・デンマークなど海外各地でも坐禅指導を行うなど、国際的な活動も精力的に展開している。また、海外企業のウェルビーイング(心身の健康)メンターや、国内企業のエグゼクティブコーチを複数担当するなど、ビジネスの世界にも禅の智慧を広げている。
「私は美の力を信じています。人の固定観念を外していくところに、アーティストの生き様や作品の力があります。見る人に『今までの考え方じゃなくてもいいんだ』という気づきをもたらすことが、私の目指す道です」
「美しさの先に人々が互いに尊重し合える世界がある」と語る伊藤さんの姿勢に触れると、伝統と革新の調和が現代に新たな可能性を開くことを実感する。禅とアートが交差する空間で、多くの人が固定観念から解放され、本来の自分を取り戻していくように、文化は形を変えながらも本質を守り続ける。私たちも日常の中で美意識を高め、より豊かな生き方を模索したい。