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モダニズムと侘び寂びが共存するガラスと漆の器、竹の概念を覆すランプ、桂離宮の霰こぼしの小道を思わせる木箱——。物や素材の既存概念を超える姿となった伝統技術の数々は、魔法がかかったような輝きを放つ。これまで誰も見たことのなかったアイディアで、国を超えて多くの人々を感動させてきたのが伝統技術ディレクターの立川裕大さんだ。「令和の国宝すらも生み出せるはずだ」と語る立川さんの源泉となるものとは。

「伝統の行方を創造する」

立川裕大さんが掲げるこの言葉は、人々にまだ見ぬ未来を想わせる。日本の伝統技術と最先端の加工技術を組み合わせ、フルオーダーメイドで装飾品や家具を制作するオートクチュールブランド「ubushina」と、既製品としてブランド化した「AMUAMI」。この二つのブランドラインを通じ、彼は伝統と真摯に向き合いながら、葛藤してきた。職人が競って技術を高め合うことができた時代とは全く違う価値観の現代。匠の域を超えた新しい世界観を見せてくれる彼の作品は、伝統技術に宿っていた何かが姿を変え息を吹き返すようである。

うぶしなの事例1
Design by NOMURA, hashimoto yukio design studio Inc.
Photo by Nacasa & Partners

今は日本の伝統技術に精通する立川さんだが、若き日の彼が追い求めたのは主に海外のモダンデザイン。高校2年生のときにパリコレで発表されたコムデギャルソンと山本耀司による「黒の衝撃」に、まさに“衝撃”を受け、大学生でイタリアの高級家具メーカー・カッシーナのショールームを訪れたことが彼の美意識を大きく揺さぶった。洗練された空間に魅せられた立川さんはカッシーナに営業として就職。後には家具販売の仕事へと続くキャリアのなかで、デザインへの感性に磨きをかけ続けた。

CASSINAショールーム1
1981年当時のインターデコール(現:カッシーナ・イクスシー)ショールーム©CASSINA IXC.Ltd.

「自分の足元を見ろ」と言われて目が覚めた

イタリアモダンのスタイリッシュな家具を、レストランやバー、ゴルフ場のクラブハウスなどを手がける設計者や建築家に提案する。彼の原点とも言える仕事をしながら、デザインへの審美眼をますます研ぎ澄ませていった立川さん。さらに、毎年イタリアで行われる「ミラノサローネ国際家具見本市」を訪れてはデザインの最先端に触れ、美への解釈を深めていった。


現在の彼につながる大きな転機となったのが、2人のデザイン界の巨匠との出会いだ。かの有名な、アキッレ・カスティリオーニ氏とエンツォ・マーリ氏である。


「カスティリオーニさんはものの文化史を更新し、マーリさんは社会主義的思想を基盤にデザインに臨んでいました。生み出されるプロダクトが美しいのみならず、強い信念やメッセージがあることに痺れたんです」

立川氏とカスティリオーニ氏
当時の立川さんとカスティリオーニさん。イタリアではかの有名な巨匠たちとも交流を重ねていた。

彼らから新たな視点と刺激をもらうなか、博識で日本文化にも精通していたエンツォ・マーリ氏から「イタリアもいいが、自分の足元をちゃんと見ろよ」と言われたとき、彼のなかで何かが変わった。自分の足元にある日本文化に対して自覚的であれ。その言葉を胸に改めて日本に目を向けてみると、日本に伝わる伝統的な文化と民俗的な風習の中に生きる「美しさ」に気付くこととなった。ホンモノとして一流を極めた数々の技や作法が、自分も含めた現代社会では忘れ去られ、無価値に近しい扱いを受けている。自分の足元が今にも崩れ落ちそうになっている現状に、恥ずかしさや悔しさ、憤りなどが入り混じる感情が生まれた。

マーリ氏
イタリアデザイン界の巨匠、マーリさん。立川さんの美徳感までをも変えてくれたという大切な存在。

日本の職人は国宝すら作れる力を秘めている

「やるぞ、と思わされたんです。イタリア人よりも日本のことを知らなかった男でしたが、思いだけで『日本の職人技術を世界に届けるんだ』と」


これまで15年近く、時代の先をゆく空間デザインを追求し、優雅でありながら生活に寄り添ったイタリアのデザイン論を叩き込んできた。その土台に、日本の職人技術をリミックスしていく、新たなアイディアと使命感が湧き上がったのである。


そうして2003年、その土地由来の授かりものを指す「産土」を由来としたプロジェクト「ubushina(産品)」が生まれた。目黒のホテルCLASKAのリノベーションを皮切りに、ホテルやレストランなどの空間デザインに伝統技術を組み合わせる独自の創作を重ねてきた立川さんが話題を集めるのに時間はかからなかった。

ubushinaの施工例
Design by Intentionallies
Photo by Nacasa & Partners
漆の施されたカウンター、鋳物の照明器具、錫のシャンデリアなど、伝統技術を用いているとは見分けられないほどモダンな空間と調和しながら、奥ゆかし秘めた色合いや繊細なテキスチャーを纏い佇む。

ubushinaをスタートさせてまもなく、伝統技術の美しさや可能性に触れると同時に、業界の現状にも直面した。師匠から弟子へと脈々と継承され進化を続けてきた職人技術は、保存すべき日本の文化だと捉えられる一方、現状は海外製品の普及やライフスタイルの変化による価値の低下が止まることがない。仕事や収入の減少は職人たちを襲い、今では深刻な後継者不足や技術の存続危機に直面している。立川さんも、“最後のひとり”を見送る悔しい思いを何度もしたという。職人たちから生み出される端正なものづくりを前に背筋は正される思いでありながら、伝統工芸や職人技術が置かれる辛い現状を知る程に、立川さんのなかの使命感は燃え上がった。


「かつて職人という存在は、日本を支え牽引していく存在だったはずなのに、経済の停滞やサプライチェーンの劣化といったさまざまな要因で廃れてきてしまったことが悔しいし、もったいないと感じるんです。彼らは国宝だって作れる立場にいるんですよ。長年積み重ねてきた技術と、的確な素材と発想があれば、とてつもない物を作れる可能性を秘めている。僕は、世界でも秀でた日本の職人文化を未来に継承していくために、動いているつもりです」

タテハナ
Photo by GION
現代美術家・舘鼻則孝氏と鋳物メーカー・能作とのコラボレーション作品「Traces of a Continuing History」ではプロジェクトをコーディネート。CTスキャンや3Dデータなどの最先端技術を用いてデータ化した舘鼻さんの骨を、伝統技術である鋳物の技術で鋳造彫刻とした。彼が創作活動の主幹としている「守破離」の言葉通り、伝統に囚われない斬新な挑戦だ。

現代の生活スタイルに合わせたデザインに伝統的な工芸制作の技を生かすには、柔軟な発想とアレンジセンスが肝だ。プライドを持ってものづくりをする職人を前に、ubushinaが世界を見据えたラグジュアリーブランドであることを伝え、「どうかこの技術を、最先端の空間で活かしてみましょうよ」と頭を下げることもあった。

Photo by Taiki Fukao

編む、それが伝統技術の「美」を生むと信じて

日本と海外の文化の違いを見てきた立川さんから見て、日本人は自分たちの作品を“魅せる”ことの不器用さがあると語る。間を重んじて自ら声を上げることのない日本の職人たちの素晴らしさを、彼は「編集者」という立場で魅せていく。


2023年に立川さんが新しくスタートしたブランド「AMUAMI(編阿弥)」の由来は、編集する“阿弥”。阿弥とは、室町時代に何かの目利きや芸に秀でた者に与えられた称号だ。彼らの存在が日本の文化開花に大きな役割を果たしたと考え、立川さん自らもその一助を担うべく称した。


「僕自身はデザイナーや職人ではないけれど、文化背景や美意識を掛け合わせていく編集は得意なんです。例えば、原曲は作れなくても、DJがとてもいい仕事をするときがある。リミックスやカットアップで生み出していくことが、日本の職人技術を発展させていくための僕の術なんだと思います。」


時代と技術、そして美への解釈を超えたところに生まれる世界に、人々が、そして彼自身が感動するのはなぜなのだろうか。


「“まだ見たことがないもの”の境地に行きたいと、常に思っているような気がします。簡単に出会えるものではないからこそ、出会えたら心から『かっこいい!』と思うんでしょうね。」


想像を超える。まだ見ぬものを編む。リミックスした先にある新しい日本の伝統技術の姿を目指し、彼は今、オートクチュールとプレタポルテという二軸での挑戦を始めている。

立川さんが“編んだ”先では、何が生まれているのか。後編では、AMUAMIの作品を追いかけながら彼がそこに込める哲学を紐解いていく。