Index
両足院の副住職・伊藤東凌さんは、禅と現代アートの融合を通じて、伝統に新しい風を吹きこんでいる。禅を暮らしに取り入れるメディテーションアプリ「In Trip」の開発や、グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」の主宰など、現代アートを中心に領域の壁を超え、伝統とつなぐ試みを続けている。異色とも言える活動を続ける僧侶が見据える先には、固定観念を取り払い、本質に立ち返ることで開ける新たな景色がある。
伝統は守るものではなく、革新し続けるもの
「両足院は666年の歴史があり、現在は父が住職をしております。副住職である私が跡を継ぐと、24世目となります」
ゆっくりとした口調と穏やかな表情に、不思議な引力を感じる。両足院は、800年の歴史を持つ京都最古の禅寺である建仁寺の中にある、塔頭寺院。伊藤さんは、禅の教えを広めるべく日々活動している。国内外問わず注目を集める「禅」の教えを広める方法は、様々だ。
「禅の教えは、『これを伝えなきゃいけない』とのコアがはっきり決まっているわけではありません。一人一人がどうやってとらわれなく生きていくかを、それぞれの僧侶の視点や方法で伝えています」

現在、年間200回を超える坐禅指導も精力的に行う。特に、プライベートクラスでは参加者の9割が海外からの訪日客だという。伊藤さんが選んだ発信方法の一つが、現代アートの切り口だ。年に10回ほど、現代アート企画を手がけている。
「最も人に響き、かつ自分の関心事とも近いのが、テクノロジーや現代アートとの掛け合わせだったんです」
禅の教えや禅の体験をどのように多くの人に届けるには。ヨガとのコラボレーション、伝統工芸との掛け合わせなど、革新的な取り組みを重ねてきた。今は、テクノロジーや現代アートとの組み合わせに可能性を見出している。
2006年頃、大学で教育学を専攻し禅の修行を終えた後、一時期塾講師をしていた伊藤さん。お寺の座禅会が「朝6時開始」「参加費は自由料金」「申込は往復ハガキ」とハードルが高すぎることに気づく。そこで、ホームページでの事前予約、明確な料金設定といった「座禅体験プログラム」を企画。当時はまだホームページを持つ寺院がごくわずかだったなか、両足院はいち早くデジタル化に踏み切った。この新たな一歩が、現在の多岐に渡る活動へとつながっていく。

「黙:Speaking in Silence」ボスコ・ソディ&加藤泉
固定観念を解き放ち、可能性を信じる
伊藤さんの活動の背景には、明確な問題意識がある。
「日本は可能性に満ちあふれているにもかかわらず、どこか希望だけが感じられないと思うんです。昔からの慣習を引きずった、固定観念によるものが多いと感じています。前を向いて、希望を持って、自分の可能性を信じる生き方をすれば、私たちはより幸せになれるんじゃないかと」
人が固定観念から解放されたとき、大きな可能性を開花させる。しかし、禅の教えに触れたとて、気持ちや行動の変化にまでたどりつくのは、簡単なことではない。

「禅の考え方を伝えても、感銘を受けて行動変容まで至るのはごく一部です。でも、だからといって諦めようとは思いません」
より洗練されたアプローチを模索し続けているなかで、伊藤さんの活動によって実際に変化を遂げた人も目の当たりにした。
「ある方は、それまで主婦として家の中でお仕事をされていましたが、お寺に足を運んでアートに触れることで、自分が昔好きだったことを再び始めたいと思うようになりました。最初は両足院でお掃除や片付けを手伝うところから始まり、今では新しいプロダクト開発や戦略立案まで一緒に行うほどに成長された。『私はただの主婦だから』『キャリアがないから』という考えに追いつぶされていた部分から解放され、そういった枠組みは関係ないと信じられるようになったのです」

余分なものを削ぎ落とし、本質へ
伊藤さんは「禅」を普遍的なものだととらえる。固定観念をいかに削ぎ落としていくか。そのために、何ができるのか。
「私が理解している禅は、仏教の教えというより、もっと普遍的なものです。本来あった本質に、時代とともに余分なものをいっぱいまとっていく。禅の働きは、その無駄を削ぎ落とし、大事な核の部分に戻ることなんです」
2010年頃、所蔵美術品のデジタル複製を試みた際に、当時の最新スキャン・印刷技術の進歩に感銘を受けるとともに、「寺院こそかつてはクリエイターたちが集い、芸術の源泉となる場所だったのではないか」との着想が湧き上がったのだという。
「複製品を展示することによって、新しいものは受け入れませんという意思表示に見えてしまっていたのではないかと。もう一度、以前のお寺のエネルギーを取り戻したいと感じました」
こうして、現代アートの受け入れに踏み切った。2018年にはチーム「RYOSOKU」を結成し、境内全体を使った現代美術プログラム「瞑想回廊」を始動。

加藤泉さん、ボスコ・ソディさん、エリザベス・ペイトンさんなど世界的に著名なアーティストの展覧会を次々と実現させた。寺院の古材を提供するなど、「お寺の一部となるような作品をつくる発想」が生まれていき、両足院は現代アートと伝統文化の交差点としてリードする存在となっていった。
美しさは、分断を超えて人をつなぐ
伊藤さんが禅の教えを広めるにあたって、特に注目するのが「美意識」である。だからこそアート活動に取り組んでいる。
「美しさをどれだけ求めるかは、個人の趣味の範疇とされてきました。しかし、『美しい』『感動する』という体験は、分断や対立の激しい世界において、人々をつなぐ共通点となると思うんです。様々な紛争が世界中で起きている今こそ、美しさという共通言語で人がつながっていく必要があるのではないかと」
ものごとを地球規模で考えたとき、「美」という概念が、人々を一つにまとめる力を持つ。しかし、日常生活でそこまで壮大な視点を持つことは難しいことでもある。だから、身近なところから始める必要があると話す。
「まずは、目の前の道具をどう扱えば美しいか、人とどう接していると自分自身も美しく感じられるか。物、人、場所を本当に大切にしていき、美意識をみんなで高めていくことで、この分断の時代を乗り越えていきたいのです」

茶道の「和敬静寂」の精神に見られるように、すでに美意識は過去の英知として完成している。問題は、それを現代社会にどう実装するかにある。
「すでにある美意識を、サービスやプログラムとして開発したいです。そうすることで、疲れで美に意識を向けられない人も、日常の中で美を味わうことができるようになると思うのです。」
「美意識の実装」の観点から、2020年4月、コロナ禍の中でオンライン座禅コミュニティ「雲是(UnXe)」を立ち上げ、同年7月には禅瞑想アプリ「InTrip」をリリース。

2020年10月にはコンサル企業と共同で「是是プロジェクト(XEXE)」を始動。このプロジェクトでは「是是(ぜぜ)」という独自のコンセプトを打ち出し、「八方良し、つまり未来、文化、地球環境にとっても全方面にとっての『是』を考えていきたい」としている
ゼロポイントに立ち返る調和の思想
伊藤さんは「調和」の概念も大切だと考えている。「調和」とは、ハーモニーやバランスだけでは訳しきれない言葉。自身のミッションを「美しいもの、場所、人を少しでも増やすこと」、ビジョンを「美の力によって少しでも暴力を減らすこと」と定義している。
「例えば、お互いが得意な楽器を持って演奏するとき、『あなたの音が大きすぎるから少し下げて』と言うのが、バランスです。音色を組み合わせるために編曲を工夫するのがハーモニーでしょう。一旦楽器を置いて、『この楽器を使わなくても違う形で表現できるのではないか』と思考のステージを変えてみる。この柔軟さが、調和なんです」

伊藤さんが考える「調和」までたどり着くことは、抱え込んでいた精神的なものを手放すことだ。それは、その人が“ゼロポイント”に還ることだという。加えて、伊藤さんは「美しさ」こそが、人をゼロポイントに戻すものだと捉えている。
「夕陽や星空など、本当に美しいものを目の前にしたとき、人は感動して手を取り合えると思うんです。自然には敵いませんが、私もそのような「美」を提供していきたい。美の先に、人々が互いに尊重し合える世界があると信じています。」
「美しさ」と「自分に還ること」。伊藤さんの思想と実践は、着実な評価を得ている。2023年には『Forbes JAPAN』の「100通りの世界を救う希望『NEXT 100』」に選ばれ、同年『Newsweek日本版』の「世界が尊敬する日本人100人」にも名を連ねるなど、着実に広がりを見せている。
「美」を通じて、伊藤さんはどのような取り組みをしているのか。後編では、両足院での取り組みを紐解きながら、伊藤さんの考える「死生観」を深掘りする。