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秋の夜長をゆったり味わう日本酒

「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」と詠んだのは、酒仙としても知られている歌人、若山牧水。夏の間は友人や仲間たちとにぎやかにビールやスパークリングワインを楽しんだ私も、夜風がふと涼しく感じられるころになると、ひとり心静かに日本酒が飲みたくなるから不思議です。酒好きって、どこかで通じ合っているのかしら。


この季節に出回るのは「秋あがり」や「ひやおろし」など、ちょっと熟成したタイプの日本酒。春に絞った新酒が熟成され、まろやかな風味をまとった秋酒はまた格別の味わいです。今年の“中秋の名月”は10月6日だそうですが、美しい秋の月を眺めながら飲みたい、ちょっと雅な気分の日本酒を3種、セレクトしました。

三諸杉

三諸杉

これで「みむろすぎ」と読む、と聞いたら「お」と思う方も多いのでは。「三諸杉」はいま日本酒好きがこぞって手にいれたいと思っている「みむろ杉」の、産地でのみ流通しているブランド。地元のニーズに応えて、フレッシュでジューシーなタイプ、ふくよかな味わいへと熟成したタイプ、香り華やかなタイプなど幅広いタイプが揃いますが、こちらは「切辛」という辛口。奈良の言葉で「せっから」とは「とても」や「すごく」を表すそうですので、超辛口かと思いましたが、そこまでではありません。米のうまみやあまみも残されていて、ほどよく辛い純米吟醸です。


生産の舞台は、日本の清酒づくり発祥の地と言われる奈良。しかも日本最古の神社であり、酒の神として信仰されている大神神社のある三輪です。古来より「うま酒みむろ山」と称される三輪山をご神体にいただくこの地にはかつて多くの酒蔵がありましたが、現存しているのはこの酒を醸している「今西酒造」だけ。創業1660年という歴史のある酒蔵で、現在は第14代当主の今西将之さんが、日本最古の醸造法である菩提酛づくりを復活させるなど意欲的な酒づくりに取り組んでいます。


2025年4月には大神神社の参道脇に「三輪伝承蔵」をオープン。全量奈良県産米で菩提酛づくり、さらに吉野杉の木桶で三輪山の伏流水を使って仕込むという、日本酒の原点に立ち返ったような酒づくりをスタートさせました。私はいままで何か所ものパワースポットと称される場所を訪れましたが、大神神社と三輪山はいつも畏れにも似た神気を感じる場所。清々しい空気の中で醸される新たな「三諸杉」にも期待しています。

守破離

守破離

京都市伏見は兵庫県の灘、広島県の西条と並んで日本三大酒どころと称される日本酒の名産地。酒処になった理由のひとつには、その昔「伏水(ふしみ/ふしみず)」と称されたほど、良質な地下水に恵まれている土地であることが挙げられます。


その伏見の東高瀬川沿い、ひときわ目立つ赤レンガの煙突と木造の酒蔵が有形文化財に登録されているのが「松本酒造」。1791年の創業以来、伏見の名水で醸す繊細な味わいのお酒が日本酒ファンの心をつかんでいる老舗酒蔵です。


代表銘柄「澤屋まつもと」の「守破離」は心地のよい酸が印象的で、キレのよい食中酒。こちらは富山県南砺市産五百万石を使用していますが、ほかに雄町や山田錦を使用したものもあるので、飲み比べも楽しそうです。「守破離」とは、日本の茶道や武芸における修業のステップを表す言葉ですが、伝統や古来の酒づくりの精神を「守り」、他からも学ぶことで自らの枠や型を「破り」、さらに一歩先へ進んで革新的に「離れる」というプロセスは、ほかの仕事や芸道にも共通して言えることではないでしょうか。


「建物としての蔵は経年により老化していくことは避けられないが、その蔵の中で造られる酒や酒を造る人の心は老化させてはならない」とは、8代目当主の言葉だそうですが、これもまた深い。蔵=身体、酒=精神と置き換えてみるとどうでしょう。なんだか飲む人の背中をそっと押してくれるようなお酒、「守破離」です。

神蔵

神蔵

こちらもまた京都のお酒。京都は日本酒生産量が兵庫県に次いで全国2位と日本でも有数の酒どころでありながら、そのほとんどが伏見にあるため、伏見以外の産地のお酒はかなりレア。なかでも「松井酒造」のように街中(昔風にいうならば洛中)にあるつくり手は、いまではほんの数軒しか残っていません。


松井酒造は1726年の創業。京都御所や下鴨神社にほど近い鴨川のほとりに蔵を構え、酒の仕込みには比叡山から鴨川へと流れる伏流水を地下50メートルから汲み上げて使用している、まさに“京の酒”。相国寺、金閣寺、銀閣寺、上賀茂神社、下鴨神社など数々の高名な寺社でご用達を務めています。


その代表銘柄である「神蔵(かぐら)」は京都府産米の祝(いわい)を使用し、無濾過・無加水という米のうまみがダイレクトに伝わる純米酒。ワインのような芳醇な香りもあり、特別な日のおもてなしにも向いている1本です。この瑠璃色の美しいボトルにはAR対応加工を施し、スマホを瓶にかざすと蔵からのメッセージを動画で見ることができるという最新のテクノロジーも搭載しています。


創業から300年を経ても変わらず守り続ける酒づくりの本質と、時代に応じて変化していく事象を調和させていく様は、まさに“不易流行”。これは松尾芭蕉の俳諧の理念を表す言葉ですが、変化の中に不変を見出し、不変の中に変化を求める考え方も示しています。古くは弥生時代と言われる日本酒の起源から約2000年……この悠久の時の流れのなかで、変わりゆくもの、変わるべきものとはなにか。秋の夜長につらつら考えながら飲んでみるのも一興かもしれません。


秋山都プロフィール